こんにちは!株式会社FOOD RECORDS代表取締役の武田玲佳です。
FOOD RECORDS(フードレコーズ)は2023年の6月に立ち上げた会社で、食のブランド・メーカーとして、デリバリーとテイクアウトのためのフードブランドを作っています。
品川区戸越と渋谷区富ヶ谷に、デリバリー・テイクアウトの店舗を構えており、この一年間で約10ブランドを開発し運営しています。
現在、私は幼少期の夢を叶えるため、日々キッチンに立ち試行錯誤の日々を過ごしています。
これは、小さい頃、社長になる!と思い描いていた私が、他職種から飲食業に進み、実際にFOOD RECORDSを立ち上げるまでのお話です。
目次
- 飲食業に飛び込むまで
- 小学生の文集
- 医療から飲食の道へ
- 飲食業での挑戦
- 上京して恵比寿のカフェに
- 勉強の成果
- バックパッカーで海外へ
- 食の経験を求めてアジアを回る
- マウイ島での生活でゴーストレストランを知る
- デリバリーとの出会い
- 新しい飲食店の形
- 未来の飲食店への憧れ
- 日本に帰ったら、クラウドキッチンが近所に!
飲食業に飛び込むまで
小学生の文集
地元は愛知県岡崎市、小学生の頃の私は、学級文集で「社長になる」という将来の夢を書いていました。それは父親が社長で、父親と遊んだ思い出はないけれど遅くまで仕事をして帰ってくる父親に、「何かかっこいい」と社長業への漠然とした憧れを持っていました。
それと同時に家族と病院へ行く機会が度々あったため医療への興味をもち、医療について調べていく中で理学療法士の存在を知りました。それが、私の最初の仕事になりました。
医療から飲食の道へ
その後、理学療法士の学校を出て、地元の病院に就職。人を支え、笑顔にするような仕事をしたかった私にとって、とても好きな仕事でした。大変な日々ですが充実感もありました。しかし、いずれ独立したいという想いはどこか心の中にありました。
そんな中、友人とカフェでお茶をしたり食事に行く際に、お店の雰囲気やスタッフに憧れる機会が多くありました。そして家に帰っては、こんなお店が作りたいと想像してノートに店名を書いたり、店内の様子を書いたり、メニューを書いたりしている日々が続きました。
そしてついに、私はお店の雰囲気や食事で人を笑顔にすることができる仕事である飲食業をやってみたい!と、上京してチャレンジすることを決めました。(幼少期から、なんでもやりたい!なんで?何あれ?とずーっと話し続ける私を黙らせるのが大変だったとよく親から聞いていましたので、私はやりたがりなんでしょうね笑)
飲食業での挑戦
上京して恵比寿のカフェに
東京での初めての仕事は、恵比寿のカフェでした。料理の勉強をしつつ、お客様にとって心地よいお店づくりを学びたい思いもあり、料理の提供があるカフェ業態で私は働き始めました。
入社して全てのポジションを覚えながら、まずは店長を目指しました。
私が自分でお店を持つとしたら、どんな商品が売れるか、お客様がたくさん入るお店にするにはどうすればいいか、ということを考えながら、料理技術や売れるノウハウを学んでいきました。
先輩たちに調理やお酒のことを教えてもらい、本を読み漁り、独学で新しい料理を試作してお店で出す、ということをひたすら繰り返していた日々です。
実際に店長になれるまで4年かかり、そこから3年ほど店長を経験しました。
勉強の成果
店長になってからも、どんなメニューが売れるのか、試行錯誤の日々でした。キッチンに籠もって夜通し試作をし、スタッフからは「もう食べたくないっすわ」と言わせるくらい試食してもらいました。笑
当時の仲間たちには今でも感謝しています。
そして、店長として店舗の最高月商を記録することが出来ました。飲食に挑戦して以来、初めての大きな成果だったと思います。とても達成感があったのと同時に、独立のためにもっと色々な勉強をしたいという気持ちが強く、私はカフェを卒業しました。
バックパッカーで海外へ
食の経験を求めてアジアを回る
カフェの会社では海外に行く機会を頂き、海外の食文化への興味が増していきました。色々なところを見てみたいと思っていた中、タイミングが重なったこともあり、アジア周辺を回りました。
海外の食に触れることは、私にとってとても刺激になりました。何が美味しいか、その地域ではどういった食べ物が流行ってるのか、食べ方の文化など、すべてが新しい発見でした。ネットで調べて知識としては知っていても、実際目で見て食べて感じることは大きく違いました。
市場調査のようなことを考えながら屋台やローカルなお店を巡り歩きました。例えば、この国やエリアでの日常食って何だろう、ここに日本食を持ってきたら何が食べられるか、そういったことを考えながら旅行をしていました。
マウイ島での生活でゴーストレストランを知る
アジアを巡ってからしばらく経った後、英語の勉強でハワイのマウイ島に行きました。そこでは3ヶ月住み込みで毎日ジャングルの草刈りをしながら生活していました。
ネットもない環境で、日中は英語の勉強したり壁に絵を書いたり、川に飛び込んだりして遊びながら、時間ができたらヒッチハイクをして街の方まで行きました。
街でWi-Fiスポットを捕まえて、ネットでニュースや食に関する記事を調べていた中で見つけたのが、ニューヨークでゴーストレストランが流行っているという記事でした。
デリバリーとの出会い
新しい飲食店の形
ゴーストレストランとは、店内に座席がなく、キッチンスペースのみでデリバリーやテイクアウト・ケータリングの営業をする形態です。
記事で紹介されていたキッチンはクラウドキッチンという、ゴーストレストラン用のキッチン区画が複数用意されていて、各スペースで入居者が営業をするものでした。スペースを取らないため初期費用も少なく、レストランを持たなくても自分の料理をトライする場がある、新しい飲食の形にとても惹かれました。
当時の日本ではUber Eatsが入ってきて間もない頃で、デリバリーも寿司やピザの出前のイメージしかありませんでした。ニューヨーク行くには流石にお金の問題もありチャレンジになるな、とその時は思っていました。
未来の飲食店への憧れ
カフェで店長をやっていたときは、料理を考え、シフトを組み、現場のホールスタッフ・ドリンクスタッフ・調理スタッフにそれぞれ教え、新しいスタッフが入ったら教育して・・・一つのお店を回すということはとても大変でした。ロボットが配膳してくれないかな、と考えたりもしていました(笑)
そんな中で、これらの飲食の課題を解決できるゴーストレストランの形は、私にはとても新しく見えました。店まで構えるほどの初期費用は必要なく、何人もスタッフを抱える必要もなく、なんなら自分が一人立って料理を作っていれば回せる形態です。ゴーストレストランへの憧れは誰よりも持っていたと思います。
日本に帰ったら、クラウドキッチンが近所に!
海外から戻ってきたのは2018年頃で、その時は高級海苔弁当屋さんで働いていました。なんとなくTwitter(現X)を見ていたとき、偶然フォローしていたMr.CHEESECAKEの田村シェフのとあるリツイートが目に入りました。
なんと、日本に新しくクラウドキッチンができるというのです!
しかも、当時私の住んでいた中目黒の近所に!えーーーー!!!
運命だと思いました。絶対ここで働きたい!と、スタッフ募集にすぐに応募して、面接の時に出会ったのが代表の山口さんでした。
(続く)
当時は、いつかお店を持ちたい、という想いをモチベーションに日々勉強していました。医療が出発点だった私ですが、今では飲食業界で開業し、昔からの夢を叶える一歩目を踏み出すことができました。
飲食店はいつかお店をやりたいと思うあなたも、そして誰もが挑戦しやすい業態です。私は料理の勉強もたくさんして、12年の勉強を経て独立しましたが、その12年間のノウハウが、今の私たちのブランドに詰まっています!
私たちの開発したブランドについてや、飲食店に関する悩みなど、どんなことでも、お気軽にご連絡いただけると嬉しいです!
ご連絡はこちらより、またはInstagramのDMでもお待ちしております。